バトンを……

「由香、リレー出られるってさ」
 部室に瑠菜が飛び込んできた。
「え、一年生入ってきたの?」
 地区予選の一ヶ月前に新入部員が入っても、ちょっとつらいよね……と、思いつつ返事を返す。
「ううん、明菜先輩が走ってくれるって」
 明菜先輩が走るの? と、少し驚いて、でも、明菜先輩じゃダメじゃん……という言葉は、何とか飲み込んだ。
 誤解のないように言っとくと、明菜先輩は、大好き。それに、去年の秋、私がとんでもないスランプで落ち込んだとき、助けてくれたのが明菜先輩で、言ってみれば、恩人だったりする。
 でも、明菜先輩は、短距離の選手じゃない。

 このあたりで、ちょっと事情説明を。
 私たち、北中の陸上部は、女子が少ない。私たち二年生が三人、三年生が二人、そして、一年生はいない。
 人数は少なくても、なかなか優秀よ。私たち二年生は、百メートルで、県大会でもトップクラス。明菜先輩は、ジャベリックスロー(中学生版の槍投げね)で、県大会のトップを争う。もうひとりの先輩も、千五百メートルで、やっぱり県トップを争う。
 そういうわけで、人数は少ないけれど、抜群の存在感。

 そう、少なくてもがんばれるのが、陸上部。ただ、四百メートルリレーは、短距離の選手が四人揃わなければ、戦えない。
 去年、私たちが一年生の時、これでも、伝説を作ったのよ。大げさだけど。
 一年生三人と三年生一人の組み合わせで、県大会の三位に食い込んだ。誰もが思った、「来年が楽しみだ」
 でも、今年、女子の新入部員は、一人もなし。短距離メンバーは三人。私たちは、リレーをあきらめた。
 それが、地区大会の参加申し込み締め切りの日、明菜先輩がリレーに出ると言ってくれた。
 これで、リレーを走れると、そう思った。でも、明菜先輩は、ジャベの人だ。冷静に言ってしまえば、リレーに出ても足を引っ張られるだけ。私は職員室に向かった。陸上部の顧問、「おばば」に直訴。

「明菜先輩とリレーに出るんですか、先生」
「あんたたち三人眠らせておくのはもったいないからね」
「でも、明菜先輩とじゃ勝てません」
「そうかい?」
「はい」
「リレーには出たいだろう?」
「出たいのは出たいですが……」
「だったら、出たらいいよ」
「でも」
「そして勝てばいい」
「え?」
「私はね、由香。あんたたちがリレーに出られなくてかわいそうだから、早川に声をかけたわけじゃない。あんたたちが、勝てると思ったから、リレーに出ることを決めた」
「でも、どうやって?」
「まあ、練習あるのみだね」

 そのとき、風子が飛び込んできた。
「先生、リレー出られるんですか?」
「ああ、明菜が走ってくれるから」
「やったー、由香、がんばろうね」
 ちょっと遅れて、瑠菜が登場。
「今度は絶対にバトン渡すからね、風子」
 ……みんな、脳天気というか……
 最後に明菜先輩登場。
「よろしくお願いね、みんな」
 ここで、先生からの説明。明菜先輩を含めて四人で、地区大会予選に出場すること。残り期間は、一ヶ月しかないけど、このメンバーで、最低でも決勝進出を狙うこと。そして、リレーオーダーの話になる。リレーを走る順番のことね。

「明菜には、一走を走ってもらう」
「先輩が一走ですか?」
 軽く抗議。私は去年一走で、今年も一走かなと思っていた。一走は、スタートダッシュの速い選手が走る。私はスタートダッシュ(だけ?)には自信があって、だから、明菜先輩が一走というのは抵抗がある。
「由香の気持ちは分かる。といって、明菜にバトンを受けとらせるのは、正直言って、恐い」
 確かに一走はバトンを渡すだけでい。
「由香は四走をお願い」
 まあいいけど……なんといっても、四走はリレーの華だし。コーナー走らなくても良いのは助かる。でも、今年は左手にバトンを持って走るのか。それはちょっと複雑な気分。
 え? 左手にバトンを持って走るというのは?
 リレーって、なんとなく四人が同じように走っているイメージがあるけど、結構違いがある。その中でも、一走と三走は、コーナーを走って、二走と四走は直線を走るってのが大きな違い。
 このあおりで、一走と三走はバトンを右手に、二走と四走は左手に持って走る。バトンを受け渡しする時、同じ側の手だと、身体がぶつかるから、お互いに反対の手でバトンを渡す。そして、一走三走は、なるべくトラックの内側(つまり、左側ね)を走りたいから、順番に、右手・左手・右手・左手と、こうなるわけ。二走四走は直線区間だからどっちでも良いし。
 だから、私は一走から四走に転向で、去年とは反対の手にバトンを持って走ることになる。そう、この程度のことでも気にするのが、短距離ランナー。
 ついでにいえば、私たち基本は百メートルの選手だから、直線を最高スピードで走ることだけに命をかけてる。なので、コーナーを走るとパニックになる(ことがある)。これ、本当。

 二走の瑠菜と、三走の風子は去年と同じオーダー。
 これはこれで結構大切なところ。三走はコーナーを走って、バトンの受け渡し両方あって、さらには、直線を走っている二走が全速力で飛ばしてくるのを、自分がコーナーをはみ出さないように受け止めるという、三重苦みたいな区間。
 この危険なコーナーを乗り切るには、いっつもくっついているような二人こそ適任。そう、瑠菜と風子ね。
 去年、中学に入って最初の大会で、風子はバトンを受け損ねた。当然のことながら落ち込む風子に対して、瑠菜が盛り上がってしまった。
 今度はどんなことがあっても風子にバトンを渡すんだと、猛練習を始めた。
 風子もそれに応え、いつの間にか、二人は何をするのも一緒という、そういうチームメイトになっていた。

 オーダーが決まり、私たちは練習を始めた。
 練習を始めた頃、一分五秒という絶望的だったタイムも、一週間でなんかとか一分に手が届くところまで縮まり、私たちは気勢を上げた。けれど、それも長くは続かなかった。
 一分の時期が、一週間続き、大会まで残り二週間になる頃、私はたまらず職員室に向かった。
「先生、やっぱり、決勝なんて無理です」
「なぜかな?」
「もう一週間くらいタイムは一分のままです。地区大会でも決勝に行くには、五十五秒は必要だって、言ってたじゃないですか」
「明菜のせいだと?」
「…………」
「走ってみるか、明菜と」
「先輩とですか?」

 複雑な気持ちのまま私はグラウンドに出る。明菜先輩と走るって、言っちゃ悪いけど、勝負になんかならない。
 なぜ、先生は「走ってみるか?」なんて言ったんだろう?
 先生は明菜先輩と少し話していた。やがて、百メートルのコースに先輩と私は並んだ。
「オンユアマーク(位置について)・セット(用意)・ゴー(ドン)」
 次の瞬間、コースの中程で私は呆然としていた。明菜先輩のスタートダッシュは速い。
 スタートだけには自信を持っていただけに、ショックだった。(後で知ったんだけど、もの投げる競技の人の下半身のバネを甘く見ちゃいけないってことらしい)

「記録が伸びないのを、明菜一人のせいにしてなかった?」
「していました」
「最初の一週間で、タイムが五秒縮んだ。けどね、由香。あんたたち四人のトータルタイムは、二秒も縮んでないんだよ。それも、明菜が、短距離の走り方を覚えて、二秒まるまる縮めたようなものだけど」
「あとの三秒は……」
「バトンパスの時間さ。瑠菜と風子のバトンパスは良い感じになった。あとは、明菜もだけど、由香のバトンパスが速くなれば、決勝には潜り込める」
「はい」
 確かに、瑠菜と風子は、息が合っていると言うこともあって、熱心にバトンパスの練習をしていた。
 明菜先輩は、ひたすらスタートダッシュと、走力に取り組んでいた。
 私は……何もしていなかった。記録が伸びないことを、全部明菜先輩のせいにして。
「明菜先輩」
「なに?」
「すみませんでした」
「がんばりましょう。わたしもバトンパスの練習、がんばるわ」

 先生が話を続ける。
「じゃ、今日から本当の練習を始めよう」
「本当の練習……ですか?」
「ああ、メンバーの間にわだかまりがあって、リレーの練習はできないだろう」
「それじゃ……」
「まあ、それは置いておくとして、良い情報がある。去年の地区大会と今で、あんたたちのトータルタイムは、〇・〇二秒だけど速くなっている」
「え? 今の方が速いんですか」
 トータルタイムってのは、リレーメンバーが別々に百メートルを走ったときのタイム。リレーの時は加速の関係やバトンパスがあって、トータルタイムがそのままリレーの記録にはならないけど、トータルタイムが速いほうが有利なのは当然のこと。
「あんたら、明菜が遅い遅いと思ってたんだろうけど、ま、事実遅いけど、トータルでみたら、わりと速いって分かったかな?」
 考えてみれば当然のことで、私たち二年生三人は、去年は一年だった。百メートルは、学年別なので、一年生として速かったに過ぎない。
「中学一年の七月なんて、まだ、小学生に毛が生えたようなものだからね」
 と先生は言うけど、まさにそのとおり。ちゃんと練習して、一年で一秒近く記録は伸びている。だったら、明菜先輩が、三年生のタイムから三秒遅くても勝てるってこと?
「まあ、そんなに甘くはない。去年、あんたら、一年生が三人もいるチームだからって、どんな練習をしたか思い出したかな?」
 そう、去年三年生だった明石先輩は、三年生でもトップのタイムだった。でも、私たち三人が足を引っ張ることになって、走力不足を巻き返すために、バトンパスの練習に明け暮れたんだった。
 あんたたちがバトンパスで稼ぐにはこれしかないと言われて、アンダーハンドパスに取り組んだ。
 アンダーハンドパスは初めてだし、三走の風子がいきなりバトン落とすしで、去年のバトン練習はきつかった。でも、少なくとも去年のレベルまで上げないと、決勝は無理だ。

「うちの一走が明菜だと聞けば、どのチームだって、北中は勝負を捨てたと思うだろう。見返してやりな」
「はい」
「特に由香」
「はい」
「本番で、明菜に恥をかかすな」
「はい」

 ここで、先生が誰かを招き入れた。女の子三人登場。
 それを見た明菜先輩、ちょっと困った表情。
「あの、あなたたち、部室に来るのは遠慮してくださいって……」
「ああ、いいよ、今日は私が呼んだんだから」
「先生が?」
 実はこの三人、琴奈・美岬・千尋は、知る人ぞ知る「明菜先輩ファンクラブ」の、会長・副会長・書記(でも、他に会員はいない)。
 試合に来ては、明菜先輩を応援して黄色い声を上げている。
「バトンパスのタイムを計れないかと相談したら、やってくれるって言うものでね」
「私たち、明菜先輩のお役に立ちたくて……」

 えっと、ここまでの話でバトンパスのタイムを短縮することが、重要だってことになったのだけど、やっぱり、「何となく早くなった」だと、困るわけ。で、先生としては、時間を計りたいと思ったのだけど、本格的にやろうとすると、とても大がかりになってしまって、手が出ない。
 そこで、そろって「パソコンクラブ」なんてものに所属している、琴奈たちに声をかけたと言うことらしい。もちろん、「明菜が困っているんだが」というおまけをつけて。
「そうしたらな、動画を撮って解析すれば、〇・一秒は確実に測定できると言うんでね、来てもらったわけさ」
 ……役者がそろったね。

 まず、明菜先輩にスターティングブロックのセッティングとか、(私が)教えることになった。
 先輩相手に教えるだなんて……。
「えっと、あの、スターティングブロックは、なるべくコーナーの外側に置いて、内側の縁に向かって、えっと、走ってください」
「ふうん、でも、どうして外側に置くの? 内側の方が走る距離が短くなるのに」
「えっと、それはですね、なるべく直線で走りたいから、最初は、コーナーの内側に向かってまっすぐ走るようにするんです」
「なるほど、いろいろあるのね」
 普段なら、もう少し気楽に話せるのに……。

 そうこうしているうちにも、琴奈・美岬・千尋が、トラックにラインを引いている。テークオーバーゾーン(バトンを受け渡すところね)が二〇メートルあって、そのさらに前後一〇メートルのところ。結局ラインとラインの間は、四十メートルになる。
 線を引くのは、動画を撮るカメラが一台しか使えないから。どうしても、斜めから撮影することになる。斜めに撮ると、位置関係が分からなくなってしまうけど、地面にまっすぐな線を引いておけば、その線と比べて、いつラインを通過したか、はっきり分かると言うことらしい。なんか、とっても細かいこと考えるのね。

「オッケーです。準備できました」
 ウォーミングアップをして、スタートダッシュを数回練習した頃、琴奈が叫んだ。
 いよいよ、バトンパスの時間計測。
「その前に目標を言っておく。あんたらのトータルタイムが、五十三・六秒。バトンバスの計測エリアを除いて、走ってる区間を七十メートルとすると、三十七・五秒。五十四秒でリレーをクリアするためにはバトンパスのトータルタイムは、十六・五秒」
 もう、数学の先生嫌い。
「じゃ、結論だけ言う。バトンパスの時間は一区間五・五秒まで」
「はい」
 私たちは走った。琴奈から結果を受け取って、先生が言う。
「明菜・瑠菜 七・五秒。瑠菜・風子 五・六秒。風子・由香 六・九秒」
 さすがに、瑠菜、風子コンビは良いところまで詰めている。明菜先輩の七・五秒はかかりすぎだけど、私も六・九秒じゃ、全然威張れない。

 やることははっきりしている。
 その日から、バトンパスの集中練習が始まった。
 五十メートルに区切って、バトンパスの練習。その後トラックでも練習。動画撮影隊は、タイム計測以外のところでも、動画の分析に大活躍。
「えっと、みんな明菜先輩が遅いと思ってるでしょう。そう思ってるから、瑠菜のスタート遅すぎ。ほら、バトン受け取った直後に、明菜先輩に追い越されてる」
「もう少し早くスタートした方が良い?」
「もう少し後ろに立って、早めにスタートした方が良いと思う」
「本当に?」
「信じてないんだ」
「う、ううん、そんなことないわよ。やってみようかな……先輩、良いですか?」
「いいわよ」
 やってみたら、本当に、〇・二秒短縮。でも、瑠菜のスタートが、このタイミングから、ちょっとでも早いと、先輩が置いてきぼりになることも判明した。
「瑠菜・風子は?」
「風子ちゃんのスタートのタイミング、もう少し早い方が良いかも」
「どうして?」
「瑠菜がラストスパートで、ちょっと遠慮している気がする」
「でも、早くスタートすると、バトンが渡らなくなるんじゃ」
「そうね……でも、えっと、気を悪くしないでください」
「え?」
「実は、風子ちゃんのスタートダッシュは、瑠菜のラストスパートに負けています。楓子ちゃん、もう少し加速しても大丈夫。だから、スタートタイミングをもう少しだけ早くしても、バトンは渡るはずです」
「うっそ〜」
「あ、やっぱり信じてない」
 これで、〇・一秒短縮。
 私たちは、タイミング調整を繰り返した。
 少しずつタイミングを変え、場所を変え、バトンパスを繰り返した。
 何度もやって、速くなったり遅くなったりを繰り返した。でも、琴奈・美岬・千尋がこんなに一生懸命やってくれる。私たちはそれを信じよう。彼女たちも、頼りになるチームメイトだもの。
 練習を繰り返し、バトンパスの時間計測。
「発表します」と、琴奈ちゃん。
「一走・二走 六・九秒。二走・三走 五・三秒。三走・四走 六・〇秒」
 瑠菜・風子コンビは、目標クリア。私だって、リレーの選手らしきタイムに近づいてきた。

 バトンパスの練習に加えて、早朝練習で、百メートル走ったり、スタートダッシュの練習したり。明菜先輩もスターティングブロックになじんできて。
「だいぶ走りやすくなってきた。あと〇・三秒短縮できたら良いけどな」
「大丈夫ですよ、軽い軽い」
 私たちの会話も軽くなってきた。
「じゃ、私からも一言」
 先生からのお話。
「あんたたちには、アンダーハンドパスを覚えてもらった。普通のバトン渡し(ちなみに、オーバーハンドパスという)だと、前の走者が次の走者の手に、バトンを置く。でも、アンダーハンドは、次の走者が前の走者から、バトンを奪うと思った方が良い。それで、練習再開」
「はい」
 もう一度最初から、バトンパスの練習。本当。アンダーハンドパスだと、手と手が重なる感じなので、バトンが来たと思ったら、それを「奪う」というのが、しっくりくる。
 スピードを上げて、タイミングを調整して、バトンを奪えるようになって、これなら、いけそうな気がする。
 大会の前々日。最後の時間計測。
「発表します」と、琴奈ちゃん。
「一走・二走 六・二秒。二走・三走 五・〇秒。三走・四走 五・五秒」
 瑠菜・風子すごい。合計タイム十六・七秒。トータルで目標まで、〇・二秒足りなかった。でも、ま、〇・二秒なんて、誤差みたいなものよ。あとは本番あるのみ。

 いよいよ地区大会当日。
 リレーの前に、学年ごとの、百メートルがある。
 私と、瑠菜、風子は、そろって決勝進出を決めた。
 明菜先輩は、トップと一・五秒差で、残念ながら、最下位。
 でも、たった一・五秒の差。私たちには、取り戻せる。

 やがて、リレーの招集がかかる。
 明菜先輩と私は、瑠菜たちより少し早く招集場所に着いた。
「由香……」
「はい」
「そろそろ本番だけど、いろいろ迷惑かけたよね」
「いいえ、ありがとうございます。リレーに出られてうれしいです」
「本当のことを言うとね、あなたたちのことよりも、まず、私がリレーに出てみたかったの」
「先輩がリレー……ですか?」
「そう。わたし、もともと短距離を走っていたから。一年の時に、記録が伸びなくてジャベに転向したの」
「知りませんでした……」
(あちゃ、短距離ならこっちが先輩みたいな顔して、偉そうにいろいろ言っちゃったじゃないの)
 明菜先輩は話してくれた。
 そうしたら、案外記録が伸びて、結果的にはジャベに転向したのは成功だったのだけど。
 多分ね、このまま高校に行ったら、もう短距離を走ることはないから、最後にもう一度だけ、リレーを走ってみたかったの。
 先生にお話ししたら、由香たちと一緒に、少なくとも地区大会の決勝に残れるなら出してやろうって言われた。
 それから、慌てて練習してね、ぎりぎりのところで、この記録ならいけるだろうって、お許しが出たわけ。

「でも、それって……」
「そう、私のわがままで由香には迷惑をかけてしまった。でも、最後には由香もリレーに出たいと、そう思ってくれると信じていた」
「それは、私も今はリレーに出たいと思っています、出られてうれしいです」
「私のわがままだけど、由香の思いをじゃましないとしたら、それは願っても良いことだと思うの」
「はい」
「一緒にがんばってくれる?」

 私はうなずいた。同時に、瑠菜と風子が招集場所に到着。
「遅い!」
「ごめんなさい」
「まあ、間に合ったから良いけど……がんばろう」
「うん」
 こうして、私たちはそろって招集場所のいすに座る。瑠菜がこっそり私に話しかける。
「だって、明菜先輩の話が終わらないんだもの、こっちも焦ったわよ」
「え? 聞いてた?」
「うん」
「じゃ、つなごうよ、明菜先輩の夢」
「うん」

 いよいよ、リレーの予選が始まる。
 私は、第四コーナーに向かう。
 マーカー置かなくちゃ。
 バトンパスのタイミングを計るために前の走者――風子が走り込んでくる方向の、コースの隅にマーカーを置く。風子が走ってきて、マーカーの位置を超えたときに、私は全力でスタートする。
 私のスタートが遅いと、スタートが遅れた分タイムは落ちる。でも、風子が確実に追いついてくれるから、バトンパスのミスは少なくなる。早いと、私は、しっかり加速してからバトンを受けられるから、タイムは伸びる。でも、風子が私に追いつけなくて、バトンをミスする可能性がある。
 良いタイミングでスタートできるように、その目印に、マーカーを置く。
「由香、あんた、いつもより足二つ分、マーカーを後ろに置いてごらん。その分あんたのスタートが早くなるから、タイムが稼げるはずだ」
 これが先生の伝言。
「風子は思った以上に後半スピードが伸びるタイプだ。あんたのスタートが、少し早くても大丈夫、あんたに追いついてくれる」
 第三コーナーに向かって、いつもと同じだけ歩く。そこで、深呼吸。
「不安かい? 予選落ちも、バトン失格も同じさ。でも、あんたは、たとえ失格しても何も考えるな、最後まで走り抜け」
 あと、足二つ移動すると、マーカーを置いた。やることは全部やった。

 オン・ユア・マーク(位置について)の声がかかる。そして、セット(用意)・ゴー(ドン)
 明菜先輩が飛び出す。スタートは良い感じ。タイミングはかなり早い。それでも、やっぱりというか、少しずつ抜かされていく感じ。
 そのままテークオーバーゾーンに飛び込む。
 二走の瑠菜は、もうスタートしている。明菜先輩は、スピードが落ち始めているから、瑠菜に追いつけるかどうかで、このあとの流れが全部決まる。
 明菜先輩と瑠菜の練習を思い出す。あれだけ練習したんだから、ファンクラブの彼女たちが絶妙のタイミングを作ってくれたんだから……お願い……。
 明菜先輩が、瑠菜に追いつく。瑠菜がバトンを奪う……バトンが渡った。
 バントパスは、残念ながら、最下位――八位。でも、僅差。そのとき、瑠菜はもうトップスピードに乗っていた。順位はすぐに七位に上がる。
 トップスピードのまま、瑠菜は六位に順位を上げ――そのまま、風子に絶妙のバトンパス。
 風子が五位で飛び出す。さらに追い上げて、四位、そして、三位の選手に迫る。
 風子がマーカーを通過! 私は飛び出した。あとはお願い風子、絶対私に追いついて。信じてるから。だから、後ろは見ない。
 テークオーバーゾーンのラインが迫る。バトンが渡る前に、ラインを超えれば失格。でも、全力疾走。スピードは落とせない。「ハイ」。風子の声、私は腕を出す。バトンの感触。私はバトンを奪う。真下にラインが見えた。
「たとえ失格しても何も考えるな」
 北中の由香ちゃんをなめるんじゃないわよ――私はそのままゴールに走り込んだ。

 記録五十三秒三三。予選第三組を二位で通過して、決勝進出決定。最後のバトンパス。バトンはテークオーバーゾーンに残っていて、かろうじて失格を免れた。
 その後行われた決勝では八チーム中で五位。少し不満が残る成績だけど、次は県大会が待っている。またこのチームで練習できる。さあ、次は県大会を走ろう。

Fin.

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
『バトンを……』 by 麻野なぎ
このマテリアルは、 クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス の下に提供されています。
(licensed under a CC BY-SA 4.0)

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Nagi -- from Yurihama, Tottori, Japan.
E-mail:nagi@axis.blue