西へ

 車は西へ走る。君は少女の顔をしている。
 滅多に見せたことのない表情で、ぼくが見るのは多分、初めてなんだろう。

 スピードメーターは、160キロを越えた。しばらくこのままでいい。
 珍しく、君がOKしてくれて、初めのデート。
 サービスエリアの安っぽい缶コーヒーで、ささやかな乾杯。今夜の君は、妙には
しゃいでいた。だから、ぼくの隣で君が眠っているのは、きっと、はしゃぎ疲れた
んだろう。

 車は西へ走る。
 都会は――ぼくや、そして、君が執着した都会は、驚くほど小さくて、車で何十
分か飛ばせば見えなくなってしまう。
 高速はやたらに明るいけれど、結局闇の中を走るだけのことだ。闇の中で、ぼく
は突然気付いた。そう、都会はなんて小さいのだろう。

 都会といっしょに、君が抱えていた山ほどの心配ごとから君を遠ざける。
 帰ってこなければ、あれやこれやが、2度と君の目に触れなければ、それでいい。
どうしてだろう。君は押しつぶされそうなほどの心配ごとを抱えていた。人は、都
会であふれかえって、右往左往している。
 けれど、都会はあんなに小さいんだ。そして、君の抱えていた心配ごとなんて、
君が放り出したところで、どれほどの問題だということもない。きっと。

 車は西へ走る。君は少女の顔をしている。
 ぼくと君とは、半年ほど前に出会った。それ迄、お互い何も知らない。今だって、
ほとんど知らない。だから、君はぼくのとなりで他人の顔をしている。それでいい。
 君は、ぼくより前に知り合って、だから、ぼくよりは(きっと)ほんの少し良く
知っているお客の相手をしていた。
 「陰口は言わない主義だ」と断ってから、他人の愚痴をならべる男だとか、「女
性にたいする思いやり」故に、君に金を恵んでやろうとする男だとか、自分がいか
に無学であるかを長々と話してから、ほかの奴はみんな馬鹿だと罵る男だとか。君
は、そんな男達の相手をしていた。

 車は西へ走る。
 君は、隣で眠っている。
 少し考えてみよう。ぼくは、どうして君を連れ出したんだろう。
 君はかわいいし、ぼくにとっては好ましくて、そしてぼくは君のことが好きだ。
きっと、それだけは確かなんだと思う。でも、なんだかとても大切なことを忘れて
いるような気がする。
 何度か誘って、君は、今夜のデートをOKしてくれた。
 でも……
 考えるのがめんどうだな。
 車はこうして走りつづける。君は眠りつづける。そうして、夜が明ける。
 すべてがなるようになる。誰かがぼくたちのことを見つけて、そうして、ひとわ
たりの騒動があって、ぼくは君から引き離される。だから、2度目のデートはない。
決して。

 ぼくが初めて君に出会った夜も、君は、そうしていた。
 正直なところ、ぼくにとって、いささか不愉快であったけれど、それが君の――君
の選んだ仕事なんだから、仕方はない。
 それにしても、君は、誰の相手でもこなしていたね。時には、席から席へと移動
して、あれだとか、これだとか、全然関係のない話をこなしながら、それでも、ちゃ
んとお客の相手をしていた。

 ぼくは――自分でそうあろうとしたのかどうか、今ではもうわからないけれど――
お客の中で、ひとりはみ出していた。関係のない話をしている客同士が、突然、お
互いに笑い転げる。怒鳴り合う。叫ぶ。どなる。
 ぼくは、そのどれとも関係がなかった。
 そして、君は――あるいは、当然のことでもあるけれど――その、どれともかか
わっていた。
 ぼくは、そういったことに、今さらながら気付いたんだ。

 車は西へ走る。 
 ぼくの車の中で、君は眠っている。簡単なことだ。都会でなくたって、いつもの
店じゃなくたって、君は眠ることができる。男たちの相手をしなくたって君は生き
てゆける。 
 ぼくは気付いたんだ。君はぼくとよく似ているんじゃないかって。君も、全部の
客の相手をしながら、本当は、はみ出していたんじゃないかって。 
 でも、多分君は信じないだろう。何より、今の場所でなくたって君は生きてゆけ
るし、他の誰かにとりいったり、認められたりしなくても、君は君でいられるんだ
と、君は信じないだろう。 
 自分の席がないのなら出てゆけばいい。他人の椅子にしがみついていてはいけな
い。

 車は西へ走る。
 君が信じないのなら、ぼくが、君をひきずりだす。 
 君は少女の顔をしている。 
 そして、ぼくは君から引き離される。 
 めったに見せたことのない表情で。 
 ここ以外のどこかで。 
 ぼくが見るのは 
 生きている君を 
 たぶん初めてなんだろう。 
 いつか思い出すことができればいい。



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Nagi -- from Yurihama, Tottori, Japan.
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