雪   塚

「おいしいでしょ?」
「う、うん」
 ぼくは、ハシカミが持ってきたこぶしほどの大きさのカブにかじりついた。
「ごめんね、こんなものくらいしかなくて。でも、今の季節だと私が作れるものって、これくらいしかないの」
「ううん、おいしいよ。雪の季節だもの、無理言ってもしょうがない。でも、ハシカミ。これ黙って持ってきたの?」
「それはないしょ。いいでしょう。このくらい持ってきたって、そんなに困らないわよ。今日は特別なんだし」

 今夜ハシカミは、ここで一晩を過ごす。村のしきたりに従って。
 村では夏が婚礼の季節で、そうして、冬の間が婚約の季節。ぼくはハシカミにプロポーズした。彼女はそれを受け入れてくれて、村の中でそれが認められると、未来の花嫁は嫁ぎ先の家で一夜を過ごす。そうして、今夜ハシカミはぼくの部屋にいる。
 もっとも、この村では、「ぼくの部屋」なんてものありはしない。今日のために家族がひと部屋を空けてくれているだけだ。
 ぼくがかじりついているカブは、彼女が育てたものだ。この村では、収穫はそんなに多くない。だから、本当は、自分で育てたからと言って、家族に黙っては持ってこられない。ぼくが、もう一度尋ねると、ハシカミは笑って言った。
「あなたらしいわ、ナギ。そんなに心配するなんて。大丈夫、誰でもすることだわ、今夜は特別なんだから」
 ぼくもつられて笑ってしまう。まあ、いいや。ハシカミが言うのなら、もう、気にしないことにしよう。
「うん、それにしてもおいしいよ、これは」
「そう、ありがとう、そう言ってくれて」
 ぼくはしばらくハシカミを抱きしめていた。

 月夜だ。外が良く見える。冬の間でもときどきこんな日がある。きれいに晴れ渡る空。そして、風もない。
「雪塚を見ているの? ナギ?」
「うん」
 ハシカミが少しだけ心配そうに尋ねる。
 本当の所、ここからは遠すぎて雪塚は見えない。でも、方角はあっているはずだ。あの雪で埋もれた先には雪塚がある。

「雪塚は生きているんだよ」
 こう言ってから雪塚のことを話すのが、今では人々の習慣になっている。村はずれから裏山へとづつく荒れ地。雪のない時分なら、そこは木の一本すらない、本当にだだっ広いだけの荒れ地。ところが冬になって雪が積もると、そこに塚ができる。雪でできた塚、雪塚。
 雪塚は、日毎に場所を変えるのだと言う。まるでさまよい歩くように。あるいは、大きさを変える。人ひとりほどだと言う話もあったし、小さな家ほどの大きさがあるという話もある。
 今夜、ハシカミがここに来たとき、祖母が雪塚の伝説を話した。それは、一夜を過ごす娘に対する決まり切ったあいさつ。ハシカミが、「雪塚を見ているの?」と心配そうに尋ねたのは、その話を思い出したからに決まっている。もっとも、今夜初めて聞いたというものではないだろう。村の者なら誰でも知っている話だ。

 それは随分と昔のことだという。ひとりの男が雪塚にさらわれたのだ。そう、「さらわれた」。誰に聞いても、伝説はそう始まる。
 男がいなくなったのに気付いて、村では男たち総出の山狩りが始まった。ひとりの少女――さらわれた男の許嫁――が、男たちに混じって、一緒に男を捜した。山狩りは一昼夜に渡って続き、ついに少女が叫んだ。
「あの人はここにいる!」
 村人はその時、初めて雪塚を見た。
 一昼夜を雪塚の中で、雪に埋もれたまま過ごした男は、気を失ったまま連れ戻された。村に帰った男は、許嫁の口づけで目を覚ました。それが、むらおさの家系の始まりであるという。
 それ以来、自分が勇者であると認められるために、男たちは婚約の夜が明けると、雪塚で一昼夜過ごすようになった。一昼夜が明けるのを待って男たちが雪塚に向かう。許嫁の娘を先頭にして。決まって気を失ったまま雪塚から掘り出された男は、村に連れ戻され、娘の口づけを受ける。けれど、男が息を吹き返すことはほとんどないという。
 本当の所、今では、雪塚まで向かう男はいない。あまりにも多くの男が死んだためだ。いつの頃からか、村はずれに「雪塚」という同じ名前のほこらが建てられ、男はそこで一昼夜を過ごすだけだ。にもかかわらず、婚約が決まる度に、その家の年長の女は、訪れた娘に言って聞かせるのだ。何年にも渡って語り続けられた雪塚の伝説を。

「ナギ、まさか、本当に雪塚まで行こうなんて思ってるんじゃないわよね」
「まさか。ぼくは、勇者なんかじゃない。君には申し訳ないけど。知ってるだろう、小さな頃から何かあると、すぐに泣き出していたのを」
「うん、あ、別にそれが嫌だなんて思ってないわよ、決して。別に誰かから『勇者だ』なんて言われる必要はないわ。あなたは、今のあなたのままですてきだもの。そのまま私のそばにいて欲しい」
「うん、ぼくは、ずっとここにいるよ」
 答えながらぼくは舌を巻いた。ハシカミの勘の鋭さには、いつも驚かされる。本当の所、ぼくは、雪塚まで行くつもりでいた。もっとも、ぼくは自分でも「勇者」なんかからはほど遠いと思っていたし、誰かにそう認められたいとも思っていなかったから、雪塚で一昼夜を過ごそうとは思っていなかった。ぼくは、一度本当に雪塚を見てみたかっただけだ。ここしばらく、誰も本物の雪塚には行かなかった。雪塚のことは誰でも知っているのに、聞こえるのはうわさ話ばかりだ。だから、ぼくは雪塚まで行ってみたいと思った。
 ほこらに行く前にちょっとより道をするだけだから、心配はない。そう思ったけれど、多分、それだけでもハシカミは心配するだろう。だからぼくは話さなかった。大丈夫。ぼくは雪塚まで行って、様子を見たら、本当の雪塚を見たら、そのままほこらに行って、一昼夜を過ごす。夜が明けたら、ハシカミはほこらの中でぼくを見つける。ぼくは言い伝え通り、気を失ったふりをして村に連れ戻され、ハシカミの口づけで目を覚ます。何もかもうまくゆく。
「そうだよ、何も心配することはない」
「そうよね。そんな危ないことしないでね。それに、あなたが本当に雪塚まで行ってしまったら、私はきっと、こわくてあなたを迎えにはいけないわ。私こそ、だらしなくてごめんね」
「そんなことはない、君はすてきだよ、ハシカミ」

「それに、ぼくのことを笑わないでくれたのは、君だけだった」
「え?」
 ハシカミの心配そうな横顔を見ながら、ぼくは思い出していた。
 赤い星のこと。ぼくは一度だけ赤い星を見た覚えがある。それも、寒い夜のことだったと思う。ぼくはもう一度赤い星のことを確かめたくて、他の人たちに尋ねてまわったことがある。結局、誰も知らなかったけれど。
 ぼくが、獲物の具合だとか畑の様子を尋ねたのではなくて、赤い星なんてものの話をしたのだとわかると、誰もがぼくのことを笑った。
「そんなものを見つけてなんになる」
 ハシカミは、違っていた。
「赤い星? 私も見たことはないわ。寒い夜? 冬至の頃にでも夜通し見てたら見つかるかもね。聞いたことがあるの。冬至の日にはその日にしか見えない星があるんだって。ああ、なんだか、私も見たくなった。なんならおつきあいするわよ、一晩中でもね」
 君はそう言ったんだよ。
 あと、ぼくが、「一度山の向こうを見てみたい」と言ったときも、「本当にそうだわ」と言ってくれたっけ。
「ふふ、そうね、ああ、でもだめだわ。今年の冬至ってったら明日の夜じゃない。あなたは、ほこらで気を失ってる頃だものね」
「うん、いいさ、来年も再来年もあるから」
「そうだわ。ほんとうにそう」
 ハシカミは安心したようだった。そうして僕らは眠った。本当は、朝が来なければいいと思った。でも、朝はやってくる。ぼくは行かなくちゃいけない。今日、ぼくは、本物の雪塚を見る。いつか、赤い星を確かめるように、いつか、山の向こうを知るように。

 風がないためか、雪の中はそんなに寒くなかった。ぼくは、長い間歩き続けた。思ったより長く歩いて、雪塚が小さくて見のがしてしまったかも知れないと、少し心配になった。
 それでも、やっとのことでぼくは雪塚にたどり着いた。今日の雪塚は、ぼくと同じくらいの大きさだ。隣に立つとちょっと気取ったハシカミのようにも見えた。いいか、ちゃんとこの目で見たんだから、このまま歩けるうちに村まで戻ろう。あとは、ほこらで一晩過ごせばいい。
 その時だった、めずらしく凪いでいた空が突然吹雪に変わった。ぼくは雪に包まれた。あたりが真っ白になった気がして、ぼくは、しばらく気を失っていたのだと思う。

 気付いたときには、まわりはひどく明るかった。そして、寒くもなかった。何も食べていないのに空腹ではなく、何も飲んでいないのにのどは渇かなかった。ここにいる限り、食べることや飲むことを心配しなくて良いんだと、なぜだかわかってしまう。
 ぼくは村の生活を思い出した。村ではいつもおなかを空かせていた。食べ物を手に入れるだけで一日が終わってしまう。それでも、冬が終わった日に一日だけ、人々は満腹する。冬に備えてため込み、冬の間細々と食いつないでいた食料。春にはまた猟を始めることができる。その日、村中で冬の間ためて、やっと残った食料を食べ尽くすのだ。長い間続いてきた、春の祭り。それだけを楽しみに、人々は冬を過ごす。
 ここにいると、そういったことがつまらないことにように思える。ここでは飢える心配などない。それだけではなくて、一年に一度だけのごちそうを食べ過ぎたというので、一晩中うなる必要もないだろう。気づいてしまった。あのハシカミも祭の日にはきっと、いじきたなく食べ尽くし、そして、おなかが痛いと一晩中うめくのだ。そして、翌朝の後悔と、次の一年を過ごす不安に襲われる。もちろん、ぼくだってそうだ。

 その時、光がぼくの前を横切った。女だ。なぜだかそう思って、すぐにそれを打ち消す。あれは、人ではない。物ですらない、ただの光。すみきった青。光はぼくの前で止まると、ちょっと考え込んでいるように見えた。あれは、雪塚だ。ふいに思った。一番小さくなったときの雪塚は、ちょうど人ひとりくらいの大きさだと言うのなら、ぼくの前をさまよっている青い光は、雪塚のように見える。あの光が雪を呼んで雪塚を作るのかも知れない。
 考え込んでいるうちに、光は近寄ってきた。光はぼくを包み込む。光に包まれて、ぼくは自分の重をなくした。ほんの一瞬、見渡す限りが青に包まれて、気がつくと、ぼくは星空を見ていた。ぼくはいつのまにか雪塚を抜け出したのだろうか? でも、相変わらず寒さは感じなかった。
 地平線に赤い星が見えた。あの星だ。裏山と隣山と呼ばれる二つの山の谷間に、ほんのしばらく姿を見せる星。だから見つけられなかったんだ。そして、誰も知らなかったんだ。一年に一度だけ、冬至の夜のわずかな時間だけ谷間から姿をのぞかせる星。
 星が消えると、ぼくはまた、雪塚の中にいた。身体の重さのないぼくは、青い光と一緒にいた。これはきっとぼくだ。何もかもから自由になったぼくだ。ぼくは赤い星の謎を知った。きっと、このまま山を越えて、山向こうの村を見渡すことだってできる。
 ふいに思った。雪塚まで来て、そして死んでいった男たちは、本当は死んでいったんではないんだ。雪塚には、自分が夢見てきた物がある。食べる必要もなく、飲む必要もなく、身体の重さをなくして、青い光と一緒にいれば、こうして自分の望んだ物を手に入れることができる。死んでいった男たちは、本当はここに留まったんだ。ぼくも、このまま、ここにいればいい。ああ、みんなもここに来ればいいのに。

 ぼくは、青い光を抱きしめようとした。でも、抱きしめるなんてできるはずはない。重さをなくしたぼく、漂うだけの青い光。ぼくは、それに改めて気付いた。
 ハシカミは違っていた。ぼくが抱きしめたハシカミには、ハシカミの重さがあった。ここには、重さも存在感もない。あの光は決してハシカミじゃない。重さのある人間じゃない。

 ハシカミは畑仕事をする。泥だらけになって。ハシカミの腕は細い。それでもハシカミは鍬をふるう。本当のことを言えばハシカミが畑仕事をするところを見たことはない。けれど、ぼくが食べたにぎりこぶしほどのカブは、まちがいなく彼女が育てたものだ。ぼくが見なかったとしても、彼女は鍬をふるい、泥だらけになる。

 そう言えば、一度喧嘩したことがあった。ハシカミはぼくをひっぱたいて、ぼくは彼女の腕をつかんだ。それをふりほどこうとする彼女の腕の強さに、そして、腕の細さにぼくはひるんだ。
 そうして、今ごろハシカミは、山狩りの先頭に立っているだろう。村では女は山に入ることはない。狩りは男の仕事だ。雪の季節ならなおさらだ。それでもハシカミは先頭を歩く。自分の許嫁が雪塚に出かけたというだけで、否応なく山狩りの先頭を歩かされ、そうして、女達は生まれて初めて山を歩いて、男を連れて帰る。村中の男が一緒だとはいっても。
「私はあなたを迎えになんか行けない」そう言っていたハシカミ。ぼくのような男にプロポーズされて、雪塚に向かうことなど絶対にないと思っていただろうに。それでもハシカミは歩いている。男たちの先頭に立って。
 雪塚に山狩りの列が向かうとき、先頭に立つ女は正装を許される。貧しい村のあちらこちらから、あれやこれやをかき集めて。ハシカミはぼくを捜し出すために生涯に一度だけの正装――それは、死に装束だと聞いたことがある――に身を固める。そして、初めての雪山を歩いてくる。ぼくを迎えるために。

 そう。ぼくはやっと赤い星を見つけた。けれど、それをぼくはハシカミと一緒に見たかったんだ。肩を抱けば、きっと、ハシカミの重さと、温もりがある。君は言ってくれた。
「私もおつきあいしてあげる、一晩中でも」
 ぼくは、君と一緒にいたかったんだ。
 ぼくはなんていう勘違いをしていたんだろう。ぼくがハシカミのことを好きになったのは、彼女がぼくのことを笑わなかったからじゃない。逆なんだ。ハシカミは、ぼくが夢中になるような女の子だから、ぼくのことを笑わなかったんだ。
 きっとハシカミは、ぼくと同じ夢を見てくれる。皮肉だね。ぼくは小さな頃から、「変なやつだ」と言われ続けてきた。でも、だからこそ、君を、他の誰でもないハシカミを探し当てることができたんだ。ぼくの夢を笑わなかった、ぼくと同じ夢を見てくれる君を。
 ハシカミが恋しくて、帰ってきてしまったなんて言ったら、照れくさいな。でも、ぼくは帰らなくちゃ。

 畑仕事で泥だらけになって、身体を洗うと、大慌てで、ぼくに会いに来てくれるハシカミ。こわがりで、「雪塚なんかに行っちゃいやよ」って言ってたのに、きっと、正装でぼくを捜しに来てくれるハシカミ。ちょっと小言を言うとすぐにすねてみせる、それでいて、いざとなれば、ぼくをひっぱたくことだって、君にはできる。
 君の身体の重さが、今なら信じられる。そう、ぼくは帰らなくちゃ。

 急に体が重くなった。身体が暖かい。暖かいというのと、寒さを感じないというのは、全然別のことだ。唇の触れた感触に、ぼくは目を覚ました。泣きじゃくるハシカミが見えた。彼女を抱きしめる。ぼくは、彼女の身体の重さを感じていた。

               Fin.


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Nagi -- from Yurihama, Tottori, Japan.
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