Song

--------------------------
95/12/03 09:27:09 ERIKA    SONG ―― 第1夜

 ユカルハの成人式を終えて、おれはまたぞろ仕事を始めた。ハシカミに住所くら
いは教えておくのだったな。なんせ、おれの方はちゃんと「定住生活」をしている
のだから。
 そんなことを考えながらひとつきほどがたった頃、おれは街でハシカミの噂を聞
いた。なるほど、騒々しいやつだ。噂を引きずって歩いているんじゃ、その気にな
れば探すのは造作もないな。夕方になったら訪ねてみるか。よもや追い返されたり
はしないだろう。

 夕方市場に出かけると、ハシカミは早々と殴られた後だ。ちょっと早すぎないか。
テントでぐったりしているハシカミに声をかける。
「見てもらえますか?」
「すみません、明日にしてもらえませんか」
「いますぐ見ていただきたいのですがね」
「そう言ってもね……って、ナギ!」
「気づいてくれたかな」
「どうしてここに?」
「どうしてって、おれはこの街に住んでるのだが」
「あ、そうか……」
「さんざんだな、いきなり」
「うん、ちょっと油断したかな」

 おれは、ハシカミを連れて帰ると、その夜、ハシカミを抱いた。
 ハシカミは何も話してはくれず、夜通し泣き明かした。

--------------------------
95/12/04 21:08:54 ERIKA    SONG ―― 第2夜

 ハシカミは、明け方までに、それでも少しだけ眠った。朝になって簡単に顔を洗
うと、やけにさっぱりとした様子だ。
「刺客よ」
「なんだ?」
「追いかけてきたんだって、私のこと。そして殴って、帰っていったわ」
「災難だったな」
「そうね。でもナギ、かわいい彼女が殴られたんだから、もう少しおこってくれて
も良いんじゃない?」
「あんたがおこってる様子もないのにか?」
「なるほど、正解だわ」

 そして、ハシカミはおれのことを、「珍しい人ね」と言った。それを言うなら、
ハシカミも珍しいという点では人後に落ちない。殴られた当人がまるで平気な顔を
しているのだから、おれがやきもきしても仕方なかろう。

「行くのか? 今朝も」
「もちろん」
「殴られに?」
「あら、やっぱり心配してくれるんだ。案外優しいのね。でも大丈夫よ、そんなに
毎日殴られたりはしないって」
「そうじゃなくてな……」
「なに?」

 そう言って出て行こうとするハシカミをおれは強引に引き留めた。
「なによ、心配しなくても夜になったら帰ってくるわよ……って、ナギが入れてく
れたらだけど」
「…………」
「ちょ、ちょっと、どういうつもり……はなして、はなしなさい!」
 おれはそれ以上引き留められなかった。いや、それよりも、どうしてハシカミを
引き留めたのか自分でもわかりかねた。

 夕刻になっておれはキラのテントを訪ねた。
「夕べだって、私はあなたに抱かれてあげた訳じゃないのよ、決して」
 おれが今朝は悪かったと告げると、ハシカミはそれだけ言った。
 その夜、おれはひとりで過ごした。

--------------------------
95/12/05 19:28:14 ERIKA    SONG ―― 第3夜

「いいかな? 今?」
「いいわよ。ちょうど暇だし」
「追い出されるんじゃないかと思ったがな」
「ふふ、追い出すのはもう少し話してからにするわ」
「そう願いたいな」

「で……どうしてちゃんと引き留めてくれなかったの?」
「なに?」
「あ……しまった、こんな事言うつもりじゃなかったのに」
「つもりじゃなかったって?」
「ナギのペースにはまってしまったわ。自分でも矛盾しているの。昨日、ナギにあ
んなに引き留められて、ナギのことがひどく嫌いになった」
「それは悪いと思ってる」
「でね、今度はあんなに強引に引き留めて置いて、ちょっと私が叫んだくらいで、
あきらめるなんて、なんていい加減な人なんだろうかって思うの」
「それは意外だったな」
「でしょ」

「わたしのね……」
「うん?」
「母がジプシーだったの。ペペルが私の伯父で、その妹」
「ふうん」
「父がジプシーを嫌って、母を引き留めたわ」
「…………」
「そのあたりなのよね、私のコンプレックスのもと」
「コンプレックス?」
「そう、私は、ジプシーを捨てた母親の娘。そして、今やハシカミだものね。でも
ね、それはそれで良かったと思っていた。父に乞われて……もしかしたら、自分で
もジプシーでいることが嫌になって、父のもとに行ったのだから。それは父の思い
の強さだと思った」
「それで……」
「そう。本当に矛盾している。ナギに引き留められて、なにしろ、ジプシーを捨て
た人の娘ですからね、ジプシーであることをやめてしまいそうで怖かった。それで
いて、今度は、あなたには、私の父親ほどの……母をジプシーの世界から引きずり
出したほどの情熱もなかったのかと思うと、ひどく残念だった」
「じゃ、強引に迫ったら、ハシカミはジプシーをやめたのか?」
「わからないわ。わからない……けど、やめないと思う」

「裏返し」
「なに?」
「裏返しって言ったの」
「だから?」
「おれは、ハシカミを自分のもとに置いておきたいと思った。誰にも殴らせたりし
たくなかった」
「それで?」
「でもな、おれの腕を振りきるハシカミを見ていて、占いをやめたら、それはもう、
おれの好きなハシカミじゃないことに気づいた」
「それはそうよ」
「おれの好きなハシカミでないハシカミを、そばに置いても意味はないからな。そ
れなら、遠くにいたって、おれの好きなハシカミのままに越したことはない」
「だから、最後はあきらめたって訳?」
「あきらめたんじゃない。気づいたんだ」
「ふうん、それで……さぞかし、いい気持ちでしょうね、私の両親を馬鹿にして」
「歌姫」
「なによ、唐突に」
「ハシカミがそんなに強いコンプレックスを引きずっていたとは思わなかった」
「それで?」
「だから……」

 ――君の美貌に恋したのなら、君が美しい限り、ぼくは君のそばにいる。
   君の歌声に恋したのなら、君が歌う限り、ぼくは君のそばにいる――

「あ、それ、私の……」
「おれは、少なくともジプシーのあんたが好きになった。それだけのことだ」
「……あ、なんだ、そうね、簡単なことだわ」
「考えた末に、なんて簡単なことに悩んでいたんだろうって思うのも悪くはない」
「そうね……なるほど」
「なんだって?」
「だから、ナギは『あきらめたんじゃなくて、気づいたんだ』って、そう言ってく
れた訳か。私はジプシーが好きで、父は、多分ジプシーでない母が好きで、それは
それで、母の姿だったんだわ」
「よくわかってるじゃないか……でな、ハシカミ。ものは相談だが」
「なに?」
「明日さぼらないか、占い?」
「さぼるだけね?
「そう、さぼるだけだ」
「それはいいわね。ナギは?」
「おれだって、一日くらい、どうってことはない」
「じゃ、決まりね」

 おれたちは夜通し歩いて、歌って、そして話した。

--------------------------
95/12/06 19:49:48 ERIKA    SONG ―― 第4夜

「ねむぅ〜い」
「なに?」
「眠いって言ったのぉ〜」
「そおかぁ〜」

 目が覚めると、お互いにこんな会話を交わして、また眠りにつく。「今日だけ」
という口実は、実に効果的だ。

「ねむぅ〜い」
「まだやってるのかぁ」
「ねむいものはねむいのぉ〜」
「そろそろ、朝飯つくろうって気にならないかぁ〜」
「わたしがぁ?」
「そう」
「いやよぉ。私の方がお客だものぉ〜」
「そういやそうだなぁ〜」

 ちょっとやりすぎか。
 結局おれが食事の準備をして2人が食卓に並んだのは、昼前のことだった。
「なんとか、お昼ご飯には間に合ったわね」
「まあな……どうだ、いつものハシカミに戻ったか」
「なんとかね」
「そりゃよかった」
「何言ってんの、あなたこそ、本当にナギ?」
「正真正銘のおれだ」
「ならいいわ」
 なんて言葉を交わしながら、食事が終わる。

「それにしても」
「なに?」
「いや、なに、ユカルハの歌ってのは結局聞かずじまいだったなと思ってな」
「そうね」
「ユカルハも歌うんだろう?」

 ――スマトゥム・チャシャチャシャ・トゥワトゥワト。
   ニィツム・チャシャチャシャ・トゥワトゥワト――

「なんだって?」
「私たちの言葉よ。ユカルハは街道の言葉では歌わない」
「そうか」
「そして、彼女の言葉のわからない人の前では、決して歌わない」
「こたえるな」
「うん、ナギならどうなのかしらね。今度会ったときには歌ってくれるかも知れな
いわね」
「やっぱり歌ってくれないかも知れないけどな」
「そうね」

「話したっけ? ユカルハはね、ハルカの娘なの。本当の娘」
「なるほどな」
「『教室』に生まれて、ジプシーのためにしか歌わない、生粋のジプシー」
「うらやましいのか?」
「わからない。でも、妬ましいわ」
「ハシカミらしくもない」
「そうでもないわ。こうみえても、嫉妬深い方だから」
「脅かすなよ」
「うん。でも、わかるの。ユカルハも私のことが妬ましいのだろうってね」
「あんなに仲が良さそうだったのに」
「ちょっとちがうな。仲は良いわよ。でも、どこかに妬ましい気持ちがある。私た
ちはそれに気づいているだけのことよ」
「わからないな」
「私も……」
「無責任な……」
「だって仕方がない。私には何が本当なのかまだわからないのだから。妬ましいのが
嘘なのか、彼女のことが好きなのが嘘なのか、それともどちらも本当なのか。とりあ
えずね、全部自分の気持ちなんだなって、今は思ってみるだけ」
「大変だな、あんたも」
「ナギが悪いのよ、2人きりの時にユカルハのことなんか聞くから」
「何?」
「彼女も一緒なら、もっと素直になれるわってこと」
「そういうものかな」
「まあ、いずれわかるでしょう」

 おれたちの短い一日は終わった。

--------------------------
95/12/07 23:26:17 ERIKA    SONG ―― 第5夜


「平和ね」
「ハシカミの口から、『平和』なんて言葉が出るなんて……」
「いいでしょ、たまには」
「実際、ひどくすっきりした表情をしてるけど……」
「うん。実はね……」

 ハシカミが話してくれた。

 私は「夢を見ましょう」って、それだけを持って歩いてきた。まあ、占いなんて
言っても、ペテンみたいなやり方でね。でもね……って、そうか、まだ話してなかっ
たわね。
 私、人を殺したことがあるの。
「おだやかじゃないな」
 まあね。直接手を下した訳じゃないけど。ついうっかりね、「好きな娘がいるな
ら、いっそ夜這いでもかけてみたら」なんて言ったの。で、実に素直に夜這いをか
けてくれて、殺されたわ。
「殺された?」
 衛兵に見つかってね。

 それで、私は考えた。「夢を見ましょう」ってのは、間違ったことなんだろうかっ
てね。考えた末、私は、「夢」と「熱病」を区別することにしたの。ただ単に熱に
浮かされているのを、「夢」だと言ってはいけない。
 どう区別するのかって?
 夢を見るのは――夢と呼べるほどのものなら――多かれ少なかれ、誰かを悲しま
せることだわ。そうね、誰かが悲しむだろうってわかって、その悲しみを感じて、
それでも、悲しみを降る切れるのなら、それだけの大きさがあるのなら、夢だと認
めてもいいでしょう。そうね、あと、「願った夢は叶うものだ」なんていう幻想は
論外としてね。
 そして、つぎには、思いの強さだわ。
 誰かを悲しませて、それがわかっていても、追い求めたい思いの強さ。だれかの
「夢」とぶつかるのなら、相手の夢の大きさを感じることができて、それに負けな
ければ、少なくとも私はそれを支持する。

 そこまで考えて、私は困っていたの。ずっとね。じゃ、例えばナギが、私を殺し
たいと思っていて、私が生きたいと思う気持ちよりも強かったのなら、私はおとな
しく殺されなきゃならないのかしら……ってね。ナギが私を突き刺すのなら、私の
悲しみをしって突き刺すだろうし、その上思いの大きさで負けたら、どうしようも
ない。
 で、わかったの、昨日の話で。ナギはナギで、私は私で、ユカルハは生粋のジプ
シーで。そうよね、だから、私が認めたナギは、多分私を殺そうなんてしない。ナ
ギがナギでなくなってしまう――自分が自分でなくなってしまうような夢は、それ
は夢じゃない。

「おれだって、ハシカミを殺そうなんて考えるかもしれないぞ」
「そのときは、まず、『思いの強さ』では負けないわ」
「それでも、かなわなかったら?」
「ナギがナギのまま、私を殺そうとするのなら、ひょっとしたら、おとなしくして
るかも知れない。ナギがナギでなくなったのなら、おとなしくなんかしてあげない」
「なるほどな」
「わかったの?」
「なんとなくな――ま、どっちにしても、物騒なたとえ話だな」

--------------------------
95/12/08 20:42:09 ERIKA    SONG ―― 第6夜 その1

「つかぬ事を聞くが……」
「ん? なに?」
「今までに襲われたことってないのか?」
「あなたはもう……そんなこと聞く? 普通」
「ちょっと考えるところあってな」
「ふうん、誰かの手が着いてたら、そんな女はいらないって?」
「あまり人を怒らせないように」
「ごめん。襲われたことって無いわよ」
「そうか」
「当てが外れた?」
「そういう訳じゃないが……」
「一人一人は、別々に旅していても、ジプシーの結束ってのは結構強いのよ」
「それで……」
「そう。襲われたりしたら仲間が放っておかない……と思われている ^^;」
「思われている?」
「私が襲われたらどうなるかは、ちょっと自信がないの。現に、この街では連日
ナギのところに泊まり込んでるってんで、ちょっと評判悪いし」
「そんなことがあるのか」
「でも、この街ではわかってもらえたけどね。ナギがいるからって」
「…………」
「もう少し早く会っていたなら、この街で成人式を迎えたかったな」

「それにね……」
「なんだ?」
「私、結構強いのよ」
「強いって?」
「ジプシーなら、ナイフくらいは使いこなせるわ」
「そう言えば、ポポが言ってた。ハシカミに抱きついたりしたら、怪我をするってな」
「ひどい ^^;」

 そう言うと、ハシカミは自分のナイフを見せてくれた。ペペルの形見だそうだ。
「見るだけよ」ってんで、さわらせてはくれなかった。ナイフを手渡すのは、多分、
もっと先のことだろうとハシカミは言った。

 そうして、ハシカミが、手頃な棒――ナイフと同じくらいの大きさの――を持って
構えた。さすがにナイフじゃ殺しかねない――うまく手加減できるほど、私は上手く
ないからと、ハシカミは言った――から。
 おれは渾身の力でハシカミに襲いかかる。胸に激痛が走る。「本当なら、死んでた
わね」 ハシカミが言った。

「それにしても、珍しい人だわ」
「なにが?」
「『彼女』に叩きのめされて、平気でいるなんて」
「おれは街の住人で、ハシカミはジプシーなんだから、それで良い」
「そうね」
「ユカルハも、同じくらいには強いのか?」
「本気なら、ユカルハの方が強いわ」
「そうか……」
「そうそう、彼女を襲うなんて、やめた方が身のためよ」
「まあ、そうしておくか」

--------------------------
95/12/08 20:42:32 ERIKA    SONG ―― 第6夜 その2

「ナギ……」
「なんだ?」
「私、明日出て行くわ、この街を」
「ちょっと早すぎないか?」
「ううん、こんなものよ。1週間同じところに居着くと、わたし、だめになってし
まう」
「いつかは?」
「この前は、成人式だったから。成人式の前だけは、ひとつき居着くの。そうね、
やっぱり成人式は、この街でなくて正解だったかも知れない」
「どういうことだ?」
「うん? この街にひとつきも居着いたら……本当に住み着いてしまったかも知れ
ないもの」

 仕方ないか。確かに、「ハシカミはハシカミ」だ。
 最後の夜。それ以上、おれは何も話さなかった。

--------------------------
95/12/09 20:35:49 ERIKA    SONG ―― 第7夜

 翌朝早く、ハシカミは街を出ていった。初日に殴られたとはいうものの、ハシカ
ミも、この街では何も事件を起こさなかったな。
「じゃ」
「うん……しかし、珍しいな。ハシカミが出て行くのを見送るなんて」
「どうして?」
「これまでは、おれが寝ている間に出ていってしまったじゃないか」
「そ、そりゃ、ただ単にナギが起きるのが遅いだけじゃない」
「本当か?」
「そうそう。細かいこと気にしないの」

 次の街までは、いちにちがかりだから、確かに朝早くから出かけなければならな
い。

「今度会うのはいつのことかしらね」
「さあな。なんなら追いかけていってやろうか」
「いいわよ、別にそれでも。あなたが今の仕事を辞めるのならね」
「そうか、そうしたら、ハシカミとしては、『こんなのは私の好きなナギじゃない』
ってんで、ほっぽりだそうってのか」
「あら、わからないわよ。『もっと好きなナギ』かも」
「まあ、あんたに媚びて付いて行くつもりはないがな」
「だと思ってた」

 名残は尽きない。けれど、ハシカミを見送りながら、今夜のコーヒーは、さぞうま
いだろうな、なんてことをおれは思っていた。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
『Song』 by 麻野なぎ
この作品は、 クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス の下に提供されています。
(licensed under a CC BY-SA 4.0)

→もどる
→ファンタジー・ランド
→Home Page of Nagi

Nagi -- from Yurihama, Tottori, Japan.
E-mail:nagi@axis.blue