「あ、あの……ひょっとしたら、ナナさんじゃありませんか?」
「え、そうですけど、あなたは?」
「あ、ごめんなさい。ぼく、『あさかぜ急便』で働いています。えっと、ピピっていいます」
「はい……それで、何かご用ですか?」
今日はお休みだというので、ピピは街に出かけてきました。お気に入りの路面電車です。
そろそろ降りようかという時になって、ピピは隣にいる女の子のブローチに気がつきました。
白い陶器のブローチで、きれいな空色の蝶をあしらったものなのですが、羽のところがちょっと欠けているんです。それに、形だって、丸だとか四角とかではなくて……なんというか、割れたお皿のかけらみたいな気がしたのです。
そう、間違いありません。ピピは、電車を降りるのも忘れて、声をかけてしまったのです。
「あの……、そのお皿割ったのぼくなんです。その、ごめんなさい」
「ああ、あの時の、運送屋さん」
「はい」
こういうわけです。
ピピは、少し前にナナさんに届けるはずのお皿を落として割ってしまったんです。その時には、けっきょくちゃんと謝ることができなくて、ちょっと気にかかっていたんです。
それで、ナナさんに会ったのでお詫びをしておかなくちゃと思って、声をかけたまでは良かったのですが。どぎまぎしてしまって、何をどう話したらいいのかわからなくなってしまったのでした。
急に黙ってしまったピピを、ナナさんは、不思議そうに見ています。ピピは、とりあえず、お皿を割ってしまったときのことを話してみることにしました。
ピピがナナさんのお皿を割ってしまったときの「あさかぜ急便」の様子は、こんな風だったんです。
「ぼうや!(あ、これは、ピピのことです) 何? 今の音は?」
「え、荷物を落としてしまったみたいで……」
「ばか! なにのんきなこと言ってるの。今の音は皿かなんか割れた音じゃない」
「え、そんなことって」
「そんなこともこんなことも、そのくらいわからないのか、あんたは」
ちなみに、ピピにつかみかかっているのは、先輩のルルさんです。普段は「あね
ご」で通ってますけどね。
あねごが飛び出してきて、ピピの落とした荷物を拾い上げます。ゆっくりと左右に傾けると、確かに、がらがらと、何かが滑るような音がします。間違いなく、中の荷物は砕けているようです。
「まあ、この程度で砕けるような荷造りをする方も、悪いといえば悪いけど……どっ
ちにしても、ぼうや、あんたの責任だ。わかるね」
「は、はい……ど、どうしたら……」
「どうしたらってね……」
「謝ってくればいいさ」
助け船を出してくれたのは、所長です。もちろん、誰も「所長」だなんて呼びません。「おやじさん」ですけどね。
「おやじさん、そんなに簡単に……」
「じゃ、どうしろってんだ、あねご。とにかく、お客さんの所に行って謝ってくれば、
いろいろわかるだろう、ぼうやにも」
「ま、そうだけど……」
ナナさんは、少し笑いながら、ピピの話を聞いてくれました。
ピピも、「ぼうや」と呼ばれていることなんかは、話したくない気もしたのですが、なんだか、やっぱり正直に話しておいた方が良いような気がして、全部話してしまいました。
「ぼうや――なんて、失礼よね、みんな」
「いいえ、良いんです。まだ」
「まだ?」
「はい。だって、荷物を落として、お皿が割れてたのにも気がつかなかったんですから。あねごなんか、離れたところにいたのに、すぐに気付いて飛んできてくれたのに」
「それは、そうだけど……」
「だから、今は、自分のこと本当に『ぼうや』だと思うんです。だから、そんな風に呼ばれてもあたりまえなんです。いつか――なんて呼ばれるようになるかわからないけど――ぼうやなんて、呼ばれないような、ちゃんとした運送屋になるんです」
「うん。なれるわ。きっと」
ナナさんは、そう言って、ピピが「お詫び」に来たときのことを思い出していました。ピピは、落としてしまった荷物を抱えてナナさんの家にやってきたのです。ピピは、ナナさんが出てくるのを待って、「開けてもいいですか?」と尋ねてから、荷物を開きました。お客さんの荷物を勝手に開けるわけにはいきませんからね。
包を開けると、お皿はバラバラに砕けていて、ナナさんが悲しそうにしたのを、ピピは今でも良く覚えています。
「うん。そりゃ、悲しかったわ。本当ならとてもきれいなおさらだったと思うのに、開けてみたら、かけらなんだもの」
「……ごめんなささい」
「ううん。いいの」
ナナさんの前でお皿を開いてから、ピピは、おやじさんに教わったとおり、ちゃんと弁償しましょうかって、尋ねました。ところが、ナナさんは、弁償はいりませんからと言って、引きこもってしまったのでした。
「あ……怒ってた訳じゃなかったの、本当に。弁償してくれなくても。別の新しいお皿じゃなくて、そりゃ、割れてしまったのはちょっと残念だったけど……あのお皿が良かったの」
そう。実は、この時にピピが帰って、あねごとおやじさんに、「ナナさんは、弁償しなくても良いって言ってくれました」って報告したので、もうひと騒動あったんです。
「弁償しなくっていいって?」
「はい、このお皿で良いって、ナナさんが……」
「ぼうや、そりゃね……。お皿は割れてたんでしょ」
「はい、バラバラでしたけど……」
「そりゃ……やっぱり……。おやじさん、まずいよ、これは」
「だな。そのお嬢さん、よっぽど怒ってるみたいだな」
「え? だって、弁償はいらないって……」
「だから、あんまり頭に来ると、弁償なんていらないって気になるもんなんだよ」
「そうだな。あねご、行くか」
「その方が良いでしょうね」
こうして、今度は、あねごとおやじさんが、ナナさんのところに謝りに行ったのです。
ところが、あわててナナさんのところにいってみると、ナナさんはやっぱり、
「いいえ、弁償はいりませんよ」と、ちょっとうれしそうに繰り返すばかりだったの
です。
あねごと、おやじさんは不思議そうに話していました。
「どう思う、おやじさん?」
「どうって?」
「あの様子は、怒ってるって様子じゃなかったよね」
「そうだな。怒ってはいなかった」
「でも、弁償はいらないって」
「ま、そういうことなんだろう」
「そういうこと?」
「単純に、弁償はいらないってことだろう」
「答えになってない」
こういったことをピピが話すのを、ナナさんは笑って聞いていました。いえ、笑いながら、しきりに、「ごめんなさい、心配かけたわね」と繰り返していました。
「うん。残念だったんだけど、あのプレゼントがうれしくってね、残念がるなんてもっ
たいないもの」
「え?」
「あれね、バースデー・プレゼントだったの」
「そんな大切なものだったのに……」
「うん。大切なもの。大切なものだからね……うれしかった。この世界に私の誕生日を覚えてくれていて、ちゃんとプレゼントを送ってくれた人がいるってわかって」
「ぼくは、割ってしまった……」
「うん。残念だった。きっときれいなお皿だったのにね。でもね、本当にうれしかったのよ。残念どころじゃなくてね。あなたはちゃんと運んできてくれたんだもの。この世界で私の誕生日を覚えてくれてた人の思いを」
思ってくれてる人がいるんだもの」
「…………」
「だからね、弁償なんていらなかったの。あのお皿は、他にはないもの」
「ごめんなさい。そんな大切なもの……」
「ふふ、くどいわよ。気にしないの。あなたは、ちゃんと届けてくれたんだもの……あの人の気持ちを」
ナナさんは、話してくれました。
お皿は割れてしまったけれど、うれしかったものですから、しばらくは割れたまま飾っていたそうです。割れたお皿でも、かけらをうまく並べたり組み合わせたりすると、きれいに見えるものですしね。
でも、ある日、思ったのだそうです。その中の、いちばん大きな、ちょっとはみ出しているけれど、空色の蝶がきれいに描かれているかけらを、ブローチにしたら素敵ではないかしらって。
そうして、割れたお皿は、ナナさんのいちばんお気に入りのブローチになったのです。
「このブローチをしているとね、思い出すの。遠くで、私のことを思ってくれてる人がいるって、ちゃんと私の誕生日を覚えてくれてる人がいるって。うん。勇気が涌いてくるわ。でも、明日からはそれだけじゃない。割れてしまったお皿でも、ちゃんと届けてくれて、お皿を割ってしまったったからって、私のためにこんなに心配してくれた、ピピ、あなたのことも、きっと一緒に思い出すわ」
次の停留所まで来たとき、ナナさんに「ありがとう」と言って、ピピは電車を降りてゆきました。