クローバー通信

冬が終わった夜に、窓を開けておいたのが、もしかしたら間違いのもとだったのかもしれません。
突然、風が吹き込んで来ました。風は、部屋の中を一回りしたようです。
そして、不意に風がやむと、部屋の中には女の子が立っていました。
女の子は、ぼくのことなど気にしていない風で、何かを探しているようでした。
「ここにあるのは、間違いないんだけど……」

「何を探してるの?」
突然女の子が現れたので、ぼくはびっくりしましたが、そのうちに、おちついてきて、ぼくは訊ねました。
「え? あ、いたの?」
「いたのって……、そもそも、誰なの? 人の部屋に勝手に入ってきて」
「勝手に? だって、春風は部屋だってどこだって、勝手に通り過ぎるものだわ」
「何を言ってるの?」
「誰って聞くから……私は春風ですって答えただけよ」
「春風?」
「そう、春風……あ、今はあなたと同じような格好はしているけど。このほうが探し物には便利だから」
「探し物?」
「うん。春風の涙……今日、何か拾わなかった?」
「これかな?」
ぼくは、公園で拾った小さな瓶を出しました。
「そう、ありがとう。これを探してたの」
「なに? それ」
「これはね、『去年の春風の涙』なの」

不思議な出来事ではありました。しかし、彼女がでたらめを言っているとも思えず、いろいろと訊ねてみました。
彼女も、「小瓶を拾ってくれたお礼に」と、詳しく話してくれたのです。
それは、こんなお話でした。

彼女は「春風」のひとりです。春風というのは、もちろん、春に吹く風のことなので、普段は姿もないのです。
が、時々は、人の姿だったり、動物の姿だったりになることができます。
春風が産まれるとき、ひとりずつ「去年の春風の涙」の入った小瓶と、もうひとつ、空っぽの小瓶を受け取ります。そう、「去年の春風の涙」がないと、「今年の春風」になれないのです。
春風は、夏が来るまでに自分が流した涙を、空の小瓶にためておきます。
その涙は、来年、春風に渡すのです。
ところが、「去年の春風の涙」を落としてしまい、でも、この部屋にありそうだというのを感じたので、開いている窓から飛び込んだ――それが、今夜の出来事だったのです。

「でも……」
すっかり居着いてしまった春風がつぶやきます。
「どうしたら、涙なんか流せるのかしら? そのために、『去年の春風の涙』が大切なんだということだけど」
「なにか、魔法の力でもあるの? 春風の涙には?」
「うん。一応、魔法の力はあるの」
「じゃ、魔法で人助けをするとか」
「でも、魔法っていっても、三つ葉のクローバーを四つ葉にすることしかできないのよ。どう考えても誰も助けられない」
「そうでもないかも」
「え? どうするの」
「うん、それはわからないけど……」

ぼくは、四つ葉のクローバーには願いを叶える力があると思われていることを話しました。
「でも、四つ葉のクローバーなんかで、願いは叶わないでしょう? 本当は」
「それはそうだけど……」

結局、ぼくたちは夜が明けたら一緒に出かけてみることにしたのです。
春風と一緒にしばらく歩くうちに、女の子たちに出会いました。
クローバーがはえているあたりで、何かを探しています。どうやら、四つ葉のクローバーを探しているようです。
「ねえ、あの子たち何をしているの?」
春風がぼくに聞きます。
「多分、四つ葉のクローバーを探しているのだと思う」
「四つ葉のクローバーって、そんなに喜ばれるものなの?」
「見つけると嬉しいって思う人は多いね」
「じゃ、使ってみようかしら、『去年の春風の涙』を」
「うん、それがいいよ」
言い終わるが早いか、春風の姿は見えなくなりました。そして、少し風が吹きます。
「四つ葉のクローバー見つけた」という声がしたのと、ぼくの隣に春風が現れたのは、ほとんど同時でした。
「喜んでいるみたいね」
「うん」
しかし……次には、「なんだ、四つ葉のクローバーなんて簡単に見つかるじゃない」という言葉とともに、クローバーは投げ捨てられたのでした。
「なんてことを……」
春風がつぶやきました。
ぼくはなんて言っていいのかわからずに、しばらく春風のほうを見ていました。そして、ぼくは、彼女が泣いているのに気づきました。
「でも、君、涙を……」
「あ、うん、でもだめ」
「だめ?」
「うん。悲しい涙はだめなの。だから、小瓶の蓋、開かない」
春風は一度だけぼくのほうを見ました。
そして、彼女は見えなくなっしまいました。

春風が姿を消してから、ぼくは、少し風のありそうな夜など窓を開けておくようにしました。
そう、春風がもう一度訪ねてくれるかもしれませんから。
そんな夜を過ごして、夏も近いある夜、春風はまた姿を見せたのでした。
「四つ葉のクローバーを探している女の子を見つけたの」
それが、彼女の第一声でした。
彼女は話します。
ぼくと別れてからも、何度か四つ葉のクローバーを探していそうな人に会ったこと。でも、見ているとちょっと探しただけで、探すのを辞めてしまう人ばかりだったこと。
そういうことを何度か繰り返して、四つ葉のクローバーをずっと探している女の子を見かけたこと。
春風は言います。
「それでね、もう一度春風の涙を使ってみようかって思うの」
「うん、それがいいよ。ずっと探しているのだったら、役に立つような気がする」
「でも……」
「でも?」
「うん。女の子の願いを知ってしまったから」
こういうことでした。
女の子は犬を飼っていました。でも、最近、その犬の元気がないのです。
お父さんが、犬をお医者様に連れて行ってくれたのですが、よくわからないというだけでした。
そこで、女の子は、犬が元気になって欲しいからと、その願いを叶えるために、四つ葉のクローバーを探しているのです。
だけど……と、春風は言います。
「だけど、四つ葉のクローバーで、犬は元気にはなったりしないのよ」

ぼくは、返事に詰まってしまいました。
そして、ちょっと聞いてみたくなったのです。
「あの?」
「なに?」
「その……今年の春風が涙を流せなかったらどうなるの?」
「それはね、来年の春風がひとり減ってしまうことになるの。春風になるための涙がもらえないから」
「それだけ?」
言ってしまってから、ぼくはひどく後悔しました。春風の涙がそろわないと夏が来ないとか、そういうことを想像したので、「春風がひとり減るだけ」と聞いて、ちょっと拍子抜けしたのです。でも、春風に向かって言うのは、ずいぶんとひどい言葉だったと思うのです。
「うん、それだけ。あ、そんなに気にしてくれなくても良いわよ。春になれば、春風はどこにだっている。ひとり減ったくらいで、なんということもないわ」
そういう春風は、やはりひどく寂しそうでした。
「ごめん。やっぱりひどいことを言ったよ」
「ううん、いい」

ぼくたちは、お互いにしばらく黙っていました。そして、不意に気づいたのです。
春風はこう言いました「春になれば春風はどこにだっている」と。そう、毎年それだけの春風が、涙を流しているのだということ。
毎年、それだけの春風が、ぼくたちのことで、涙している。それも、悲しい涙じゃない涙を。
「やっぱり使ってみようよ、春風の涙を」
「え?」
「きっと、それが良いと思う」
「でも、言ったでしょう? 四つ葉のクローバーで犬は元気になったりしないの」
「多分、それでも、四つ葉のクローバーは役に立つと思う」
「本当に?」
「きっと……」
ぼくは春風につれられて、女の子が四つ葉を探していたという原っぱに出かけました。

女の子は、今日もクローバーを探しているようです。
「いい?」
「うん」
春風が答えたのと、そして、少し風が吹いたのと、女の子の顔が輝いて見えたのと、そういうことが続けざまに起こって、春風は帰ってきました。
そして、女の子がかけだし、風が追いかけました。
女の子は、勢いよくかけだしたものですから、ぼくは追いかけることができませんでした。
春風なら、さすがに追いついていっただろうと思って、ちょっと安心もしましたが、結局、ぼくはどうしたら良いのかわからずに、ちょっと途方に暮れかけていました。
そのくらいの時間、そこで待っていたでしょうか。気がつくと春風が隣に立っていました。
「だめ。四つ葉のクローバーなんかで、やっぱり犬は元気にならなかった」
しょんぼりした顔でつぶやきます。
「でも、行ってみようよ」
「だって……」
「なんだか、これからどうなるかちゃんと見ておいたほうが良いような気がする。場所はわかる?」
「わかるけど……」
春風は、しぶしぶといった風情でぼくを案内してくれました。

しばらくして、ぼくたちは女の子の家に着きました。
そして、ぼくたちは、ちょっと離れたところから女の子のことを見ていました。
春風が、時々風になって、女の子のそばまで行きます。
女の子は犬をなでていました。
「クローバー……」
春風がぼくの隣に帰ってきて、つぶやきました。
女の子の首は、見つけたばかりの、四つ葉のクローバーがぶら下がっていました。小さなケースに入れて、ペンダントのように。

しかし、犬は元気のない様子でした。
どのくらいの時間、女の子は犬をなでていたでしょうか。
犬をなでながら、女の子はいろいろな思い出を話していたそうです。そうして、犬も、それに答えるように、静かに声を出していたということです。
気がつくと、その犬は、女の子のクローバーに腕を延ばしているようです。犬にだってわかったのかもしれません。女の子が、クローバーを何日も探し続けていたことが。
女の子は、クローバーを犬に握らせてやり、そうして、次には、覆い被さるように犬を抱きしめました。
ふたりは――女の子と犬は、そのまま動きませんでした。

「クーはもう年寄りだったから」
「美樹が産まれる前から、この家にいたんだ。もう、とってもおじいさんだったのかもしれない」
両親はそう言って、女の子を慰めていたようです。
こういったことも、春風が聞いてきたことなのですが、最後に、「あの犬がね、『ありがとう』って、そう言ってた気がするの。『ぼくのためにクローバーを』って、そんなふうに」と付け加えてくれました。

言い終えて、春風は泣いていました。
「うん。でもだめよね、悲しい涙は」
「ごめん、ぼくが、春風の涙を使おうなんて言ったから」
「いいの。はじめは、来年の春風に涙を残さなきゃって思ってた。だから、もしも、悲しい涙にしかならないのなら、春風の涙を使いたくなんかなかったの。でも、良かった」
「良かった?」
「うん、来年の春風に涙は残せなかった。ごめんなさい、来年の春風。でも、犬は元気にならなかったけど、役には立たなかったけど、クローバーがここにあってやっぱり良かったんだって、そう思えるから」

そのとき、小瓶の蓋が開いたのです。
「なぜ、悲しい涙は残せないはずなのに」
春風がつぶやきます。
春風の涙が数滴、確かに小瓶の中に流れ込んでゆきました。

やがて、まだ、涙顔の春風が、なんとか小瓶の蓋を閉めたとき、別の風が彼女をさらってゆきました。
さよなら――もしかしたら、来年の春風によろしく。

その夜、季節が変わりました。


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Nagi -- from Yurihama, Tottori, Japan.
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