西の街の物語

 西の街に続く道のことを、どうして知っていたのか、ぼくには思い出せません。誰かに聞いたのか、どこかで読んだのか、そういったことはもう思い出せないのです。
 それでも、ぼくは確かに知っていました。

 時々、西に向かってまっすぐに延びる道を見かけることがあって、そういう道の中には、「西の街に続く道」があるというのです。
 その道のおしまいには橋が架かっていて、他の街につながっています。そうして、年に2回、夕日が真西に沈む時には、夕日がその道を、まっすぐに照らすのです。その夕日の中を歩いてゆくと、橋を越えたところでいつもと違う街に出るといいます。
 それが、西の街の言い伝えでした。

 ぼくが引っ越してきた街には、そういう道がありました。一本だけまっすぐに西に延びる道です。だから、この街に越してきたときに、ぼくはちょっと気になっていたのです。これが「西の街に続く道」なのではないかと。
 そう思っていましたけれど、やがて忘れていました。今では、この道を通ってとなりの街に行くことも良くあります。それでも、地図にない街に迷い込んでしまうことはついぞなかったのでした。

 そんなある日、とてもきれいな夕暮れの日でした。その日、ちょうど夕日がまっすぐに、その道を照らしているのにぼくは気づいたのです。
 それに気づいたというのは、多分、ぼくは、きっと少し疲れていたのだと思います。仕事のことで思うようにならなかったのか、お客さんに怒られたのか。そういうことで疲れていて、なんだか夕日がちょっと気にかかったのでした。

 夕日は、西に向かう道に沿うようにまっすぐに落ちていました。
 ぼくは、西の街の噂を思い出して、西に向かう道を歩き始めました。

夜を売ります

 夕日が美しいことをのぞけば、道はいつもと同じ道でした。けれど、最後の橋を渡ったところで、辺りの景色はいつもと違っていたのでした。
 橋を越えると緩やかな下り坂になっていて、そうして、その坂を下りきったところに小さなテントを見つけました。
「夜を売ります」
 テントにはそう書いてありました。
「夜を売るだって?」
 ぼくは不思議な気がして、しばらくテントを見ていました。そうするうちにテントの中から声をかけてくる人がいました。

「どうですかお客さん。とびっきりの夜はいりませんか?」
「夜……ですか?」
「そう、夜です。だいたいに、いろんな心配事だとか悩み事だとかは、昼間のうちに起こるものだというのをご存じでしょう? だから、昼間をたくさん持っているのは良くないことなのです」
「はあ……それで……」
「だからですね、あなたの、その、悩み事や心配事のもとになっている、『昼間』などというものを捨ててですね、『夜』をたくさん持っていれば、良いのです」
「夜がたくさんあると良いのですか?」
「もちろんです。夜。考えても見てください、時々『朝がこなければ良い』と思う人はいますが、『夜がこなければ良い』と思う人はいません。それほど夜は過ごしやすいのです」

 お店の人は話し続けました。
 だから、「昼間」と引き替えに「夜」をお売りしますということのようです。もっとも買い取った「昼間」をどうするのかは教えてはくれませんでしたが。
 そうかもしれないな……と、ぼくは少し考えました。確かに、心配事や悩み事というのは、昼間に起こるもののようです。夜になっても仕事をしているようなことももちろんありますが、それだって、昼間のうちにお客さんに怒られてしまって、やり直しをしているとか、そういうことばかりです。
 あるいは、、夜になっても心配事はなくならないのですが、それだって、翌日の昼間のことを心配しているのです。
 だから、本当に昼間が少なくなって、その分夜が多くなれば、心配事や悩み事が減るのかもしれません。

「ねえ、お客さん。いい話でしょう? 昼間なんてのは人生の重石ですよ。そんなものは持たない方が良い」
「そうですね……」
「ちょっと待ってね」
 その声は突然聞こえました。女の子のようです。
「まだやってるのね、昼泥棒さん」
「おやおや、泥棒とは聞き捨てなりませんな。私は無理にお客さんの昼間を盗んだりはしていませんが。ちゃんとお客さんとお話しして、夜をお売りしているのですよ」
「とんだまやかしね」
「おや、まやかしはそちらの方でしょう? 本当に人殺しの娘が何を言うのだか」
「え、人殺し?」
「そうそう。この女の父親はね、私が夜をお売りしようとするのを邪魔して、お客さんを殺してしまったことがあるのですよ」
「そりゃひどい」
「言いがかり」
 こうして、言い争いを続けているうちに、女の子は突然ぼくの手を引っ張りました。
「いらっしゃい、こっち」
 有無を言わせぬ様子にぼくは女の子に引きずられてしまったのでした。女の子は自分の名前をL(エル)だと言いました。ずいぶんと変わった名前だなと思いましたが、とにかくも、それが、Lとの出会いでした。

 Lと向かい合って、ぼくはずいぶんと不機嫌な顔をしていたようです。
「ごめんなさい……あの……ちょっと強引だったのは認めるわ。でも……もしも、もしもね、私の話を聞いた後で、それでも昼間を売りたくなったら、そうすればいいんだけど……その……一度でも、昼間を売り渡すと、もう二度と取り戻せなくなってしまうの、だから……ね、やっぱり、緊急事態だったと思うわけ」
「でも、人が話をしているのに、強引に引っ張ってくるなんて……」
 実のところ、彼女の父親が本当に「人殺し」なのかどうかというのが、一番気にかかった訳なのですが、なんだか、それは言ってはいけないような気がしました。

「あなた、『東の街』の人でしょ?」
「東の街?」
「そう、あの、昼泥棒のテントの上の橋はね、東の街との境界だから。一年に二回あの橋をまっすぐに照らして朝日が昇るときに、時々「東の街」の人がこの街に来ることがあるの」
「逆だ……」
「え?」
 ぼくは、西の街の噂のことを話しました。そうして、どうやらぼくがいつもと違う西の街に出てきてしまったことも。
「だったら……ここは、今、朝?」
「そう、夜明けが終わった時間よ」
「ぼくがあの橋を渡ったときには、夕暮れだったのに」

 ぼくが落ちつて来たのを見計らって、彼女は、彼女の言うところの昼泥棒のことを話し始めました。
 あいつは、あなたから昼間の時間を買い取って、それを他の誰かに売るの。他の誰かの夜と引き替えにね。そうすると、あなたは昼間の時間が少なくなって、夜の時間が増える。その誰かは、逆に昼間の時間が増える。
 ただね、一度渡してしまった時間は二度と取り戻せないの。だから、あなたの昼間の時間を売ってしまう前に、ちょっと考えた方が良いかなと思ったわけ。
 それでも、あなたが昼間の時間をもてあましているのなら、だったら、止めないけど。

 そう言ったLは、ずいぶんと悲しそうに見えました。

 人殺しって言ったでしょう、あいつが。私の父のこと。
 そうかもしれないわね。以前、昼間の時間を売ってしまった人がいたの。やっぱり東の街の人だった。
 最初は少しだけ昼間の時間を売っただけだったの。そして、だんだん、昼間の時間を売って、昼間の時間が短くなってしまった。
 そうして、最後には、少しだけ残っていた昼間の時間を全部売って、夜だけにしようとしたの。
 それで、父が止めたのね。昼間の時間を無くしてしまってはいけないって。そうして、その人は最後の昼間は売らなかったのだけど……亡くなったの。
 あいつは言ったわ。やっぱり昼間の時間は重すぎたのだって、だから、あのとき夜を買っていれば、悩み事や心配事に押しつぶされて、死んだりすることはなかっただろうって。
 そうかもしれない。だから、あなたが本当に昼間の時間を重荷だと思うのなら、止めない。でも、もう一度考えても良いかなって、そう言うわけ。

 しばらく、ぼくはLの横顔を眺めていました。

幻の湖

 話しているうちに、M教授が帰ってきました。なんでもLのお父さんだということです。
教授はLからぼくのことを聞いたようです。

「初めまして。東の街の方だそうですね」
「はい。その、今日は……って、こちらでは昨日になるのかもしれませんが、西の街に続く道を夕日がまっすぐに照らしていたので、西の街にたどり着いてしまったようです」

 教授は、西の街と東の街について話してくれました。おおよそは聞いていたとおりで、西の街と東の街は、「違う場所にある隣街」なのだということです。
 そういう訳なので、ここの他にもいくつか「西の街」はあるらしいのです。そうして、おのおのの西の街には、対応する東の街があるということなのです。
「いずれにしても、西の街というのは、あなた方東の街の方にとっては、夕日の先に存在する街なのですし、あなた方の住む東の街というのは、私たちにとっては、朝日の先に存在する街なのです」
 教授はこう言って説明を終わりにしました。

「ところで、『幻の湖』はどうだった?」
 話しかけたのはLです。
「だいたい事情はわかったよ。ちゃんと時計が遅れたんだ」
「幻の湖ってなんですか?」
 ぼくは尋ねてみました。
「ああ、失礼しました。幻の湖というのは、この街にある湖なのですがね、湖に向かって歩いていっても、いつまでたってもたどり着けない、まあ、湖が逃げていくというか、そういうちょっと変わった湖なのですよ」
「逃げてゆくんですか? 湖が?」
「そうです。ただ……逃げてゆくというのはちょっと違うようなのですね」

 そこにLが口を挟みました。
「そうそう。行けども行けどもたどり着けない幻の湖。それで、誰もが、これは湖が逃げているんだと思ったわけ。でも、父はそうは考えなかった」
「なぜですか?」
「簡単な実験をしたの、湖の北側と南側から二人で歩いたのね。でも、やっぱりどちらも湖にはたどり着けなかった。湖が逃げているんだとしたら、どこに逃げたのでしょう」
「なるほど」
「だとしたら、どうしてたどりつけないのでしょう?」
「えっと、それは……」
「いや、時間が遅れているようなのですね、そこでは」

 M教授の答えはこういうことだった。
 幻の湖の近くではなぜだかわからないけど、時間がゆがんでいるらしい。そうして、湖に向かって歩くと時間のゆがみが大きくなって、その人にとっては時間が遅れてしまうらしい。
 だから、湖に向かって一時間歩いたつもりでも、実際には、一・二分しかたっていなかったりするということになる。
 一時間歩いたと思っているのに、実際には一分ほどしか経っていない。だから、湖まではほんの少ししか近づいていないことになる。

「じゃ、本当はずっと歩き続けたらいつかは湖にたどり着けるのですか?」
「それはちょっとわからないのですよ。どうやら、湖に近づけば近づくほど、時間の遅れは大きくなるらしいのです。だから、本当に、湖のすぐ近くまでいっても時間がゆっくりでも流れてくれるのか、それとも止まってしまうのかは、わからないのですよ」

 今日、教授は五つばかり時計を持って湖に向かったということでした。そうして、湖に向かって歩きながら、時計をひとつずつ置いていったのです。置いた時計はすぐに見えなくなってしまって、ちょっとあわてたそうですけれど、歩くのをやめたらすぐに見えるようになったということです。
 そうして、思った通りに時計は置いた順番に従って進んでいました。そう、歩いている教授の時間は遅れていても、地面に置いてあった時計は普通の時間で動いていたのですから。
 ぼくは、ちょっとばかり夢中になってそんな話を聞いていました?

「おもしろい?」
 突然尋ねたのはLでした。
「おもしろい……よ。どうして?」
「ううん。東の街の人から見たら、役に立たないし、つまらないことなんだろうなと思ってたから」
「おもしろいよ。歩いても歩いても近づかない湖なんて。そして、誰もが湖が逃げてゆくんだと思っていたのに、本当は時間が遅れているんだなんて」
「みんな……そうなの? 東の街の人も」
「みんなかどうかはわからないけど、ぼくはおもしろいと思う」

「西の街が、夕日の向こうにある街なのと同じように、あなた方の東の街は、私たちにとっては、朝日の向こうの街なのですよ」
 要領を得ないぼくに、M教授がもう一度話してくれました。
「どういうことですか?」
「そうですね。西の街というのは、あなた方の世界では、夕日の向こうの、少しばかりあやふやな……たとえていえば、通り過ぎた思い出が漂っているような風に考えられているのではないかと思うのですね」
「そうかもしれません……考えたことはなかったけど」
「同じように、私たちにとっての東の街というのは、しっかりした目的を持った人たちが有意義な暮らしをしているところだと思えるわけです」
「そんなことはありませんけど……」
「でも、私たちはそういうふうに感じている。それで、Lは嫌いなわけです。西の街の……そう、役にも立たないようなことばかりのあやふやな世界が」
「嫌いなんて言ってない……けど」
「どこかしっくりこないのだよね」
「……うん」

 そういえば、夕焼けを眺めるようなことがそもそもなかったかもしれないと思ったりもしました。偶然に西に続く道を夕日がまっすぐに照らしているのを見かけたけれど、いつも夕日を見ているわけではありませんでした。それに、運良く夕日を見つけたとしても、西の街に続く道を、特に用事もないのに歩いてみる気になったのはどうしたことだったのかなどと思ったのでした。
 だから……ことによったら、ぼくも、ちょっと目には役に立ちそうになくても、なんだか不思議なことに出会いたかったのかもしれません。そうして、M教授の言う、「夕日の向こうにある街」というのは、そういうちょっと不思議な街だという気がしていたのかもしれません。

 話は、「幻の湖」に戻ってきました。
 と言っても、ぼくは、LとM教授のやりとりを聞いているだけでしたけれど。
「湖に近づく様子を見たいものだね」
「あのあたりには高地なんかないわよ」
「遠くから、望遠鏡で眺めてみるというのはどうだろうか?」
「そう……だめ。望遠鏡はそんなに広い範囲が見えないもの。お父さんか湖かどちらかしか見られない」
 ぼくは、それを聞いて少し不思議な気がしました。Lは確かにこの街がしっくりこないと言っていたはずです。それなのに、幻の湖について、M教授と話すLは、ずいぶんと楽しそうに見えるのです。

ことばの森

「幻の湖」の話がいちだんらくしたところで、Lは、明日には東の街に帰った方が良いと勧めてくれた。そうして、M教授も同じ考えだと付け加えてくれたのでした。

「でも……帰れないんじゃない? 夕日がまっすぐに西に沈むのは、一日だけのはずだから」
「帰れるわ。ううん。ここからだと、『東の街』に行くってことになるのかしら。西の街へは、長い道を歩いてこなければならなかったのでしょう? でも、東の街に行くには、橋をひとつ越えるだけでいいの」
「橋をひとつって」
「そう。だから、明日でもまだまにあうの。長い道全部が夕日に照らされるのはたった一日だけど、ほんの短い橋全部が朝日に照らされるのは、もう一日あるから」
「だから……」
「そう、明日、帰れるわ、東の街に」
「でも……ここにいるのも良いかも……」
「だめよ。多分。あなたは東の街の人だから、多分、帰ったほうが良いわ。東の街に」

 結局、Lはぼくに、「じゃあ、明日の朝決めましょう」と言って、話を打ち切ったのでした。
 近くに、Lのお気に入りの場所があるから、夜が明けたら――そうそう、夜が明けてしまったら間に合わないから、夜明け前にお話しして、そうして決めたらいい。いつかの昼泥棒のこともあるし。そう、Lは言ったのでした。

 翌日の未明にLはぼくを「ことばの森」に案内してくれました。下草の多い森でしたが、そのわりには木々がまばらなような気がしました。
「もう少し時間があるから、しばらくこのままいましょう」
 Lは、そういって仰向けになりました。ぼくもそうしていると、遠くから拍子木を打つような音が聞こえました。かと思うと、それに応えるように、木の葉がさざめくような音が響きます。
「いかが?」
「え?」
「これがことばの森。もっともそう呼んでいるのは私だけだけど」
「ことばの森?」
「そう、ここでは、森の木々が会話をするの」
「木が話すなんて……」
「そう考えるのもおもしろいと思わない?」
「ああ、そう考えるのもすてきだと思う」
「やっぱり……」
「やっぱり?」

 Lは自分自身のことを、東の街にかぶれた西の街の住人だと言います。そうして、ぼくは、西の街かぶれの、東の街の住人ということになるのだそうです。
 突然に、木々が一斉にざわめいて――そうして、なんだか、けものの鳴き声のような音が響きます。
 Lの考えでは、東の街の住人は、「木々が話す」なんて考えないのだと言います。この森に来て、こうして、森の中の音のやりとりを聞いても、それが会話だなんて思わないと言います。
 なのに、木々が話しているとのだと聞いて、「おもしろい」なんていうのは、LやM教授と同じように、西の街の、なんだかあやふやな、誰の役にも立ちそうのない、西の街の住人によく似ているのだと言います。
「あ、そう、それから、普段はそうでなくても、時々、西の街にあこがれることもあるみたいね。ちょうど私が時々東の街にあこがれるように」

 Lは東の街の人間がこの街に迷い込んできたのに、幾度かであったことがあるのだと言います。西の街にかぶれいてない、ただ迷い込んだだけの人は、すぐに東の街に帰るから、ぼくが、西の街にいても良いなんて言うのは、どうみても、西の街にかぶれいているんだと、そう言うわけです。

 Lは時々東の街に行ってみたくなるそうです。M教授も、橋を渡ったところにある、見えない隣街なんて、調べてみたくてうずうずしているそうなのです。
 でも、LもM教授も、夜明けの光に照らされた橋を渡ることはできないでいます。
「やっぱり、西の街は、変わらないでいる街だし、東の街は、新しい出来事が起こって、少しずつ変わってゆく街なんだわ。だから、東の街の人の中には――確かに少ないけどね、西の街まで来く人がいる」

 だから、ぼくは――西の街かぶれだけど、本当は東の街のなのだから――見えない隣街に行くだけの気力のある人なんだから、西の街に残っていたりしてはいけない。
 Lは、そう言ったのでした。

 木の葉が何度目かの音を立てます。
 ぼくは、西の街で出会ったいろいろなことを考えました。夜売り――昼泥棒でしょうか。LやM教授のこと。幻の湖やことばの森。そのままのものが、変わらずにある。M教授だって、幻の湖の秘密を知ろうとしているけれど、幻の湖をどうにかしようとは考えていないらしい。
 西の街は、確かに変わらずにいる街で、でも、それはそれで良いのかもしれない。

「知ってるわ。東の街の人も――単に迷い込んできてしまっただけの人は別だとして、変わらない、ずっとそのままの街に時々はあこがれるんだってことは。そうして、そう言うときに、そう、あなたみたいな人が、あの橋を越えて西の街に来るのだわ」
「だから、ぼくはこのままここに残っても良いのかもしれない……」
「うん。じゃ、あなたは――あなたの昼間の時間がなかったとしたら、やっぱりここに来たと思う?」
「え?」

 ぼくは、突然昼泥棒が言っていたことを思い出しました。
「だからですね、あなたの、その、悩み事や心配事のもとになっている、『昼間』などというものを捨ててですね、『夜』をたくさん持っていれば、良いのです」
 ぼくは、確かに、「昼間」の時間に疲れていたのです。でも、昼間の時間に疲れていなかったら、夕日を見つけることも、西の街の噂を思い出すこともなかったのだと思います。

「東の街の人なら、昼間の間に良くないこともたくさん起こるらしいわね。でも、それ以上の良いことだって、やっぱり昼間の時間に起きるのでしょう? 西の街では昼間の時間でも、そんなに悪いことは起こらない。知ってる? だから、昼泥棒は、あそこにテントを張って、東の街から人が来るのを待ちかまえているの。でも、東の街では、昼間に起こる良いことは、きっと西の街より良いはず――あなたには、そっちの方が合っているはずよ」

 ぼくは、自分の街に帰ることにしました。
 Lの言っていることがわかるような気がするのです。やっぱりぼくは、西の街が、M教授や、そうして、Lのことが大好きなのです。
でも、ぼくが東の街の住人だから、時々西の街のことを思い出して、西の街が大好きだったことを覚えているのが良いんだと思えるのです。

「そう……」
 Lは言います。本当はLも「東の街」が好きなのだと。東の街の住人たちのように、毎日や、住まいや、そうして街をすこしずつ変えられていったらいいなと思うそうです。
 それは、ぼくが、毎日の暮らしの中で、時々には、いつもと同じ景色を見せる、少しばかりあやふやな、西の街のことを思い出してみるのと同じなのだと、いうのです。

 夜明けです。
 ぼくは、朝日が少しだけ斜めに差し込む橋を渡りました。
 橋を渡りきったところは、いつもの街でしたし、橋の向こうも西の街なんかではない、いつもの隣街でした。

「時々には思い出してね。それはきっと悪いことじゃないから」
 最後に、そう言う声が聞こえたのか、それとも聞こえなかったのか、それも今では、かすかな思い出なのです。


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Nagi -- from Yurihama, Tottori, Japan.
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